オルフェーヴル 凱旋門賞 スミヨン騎手に乗り替わり

これは池添騎手の完全降板というより、あくまでも「凱旋門賞挑戦」でのスイッチだと捉えています。阪神大賞典天皇賞の後の池添騎手降板なら責任追及の中の完全降板ということになり、筋違いな責任転嫁のおかしな降板でしょう。しかし、迷わず宝塚記念も騎乗してもらったように、今回は池添騎手に不満があっての乗り替わりでも、責任を問う乗り替わりでもないのははっきりとしています。だから、私は池添騎手が降ろされたとは思っていません。
凱旋門賞へという大きなチャレンジ」の中で、いかに「馬のことを最優先に考えるか、環境を整えてあげられるか」という決断だったと思います。
まとめるのに時間がかかるので、一部箇条書きで。

・テレビで3分。勝つ姿だけをみてるとなかなか分からないことだけど、オルフェーヴルはそんなに甘い馬じゃない。
阪神大賞典、あれが特別なのではなく、あれこそオルフェーヴルの気性。それを何とか普通にレースをさせてくれていたのが池添騎手。
・あの歴史的? 逸走は決して池添騎手のせいではない。
・乗るたびに池添騎手がオルフェーヴルとのコンタクトを深め、オルフェーヴルの特徴をよくつかんでくれたからこそ、オルフェーヴル三冠馬になれた。
・何度でも言います。普通に乗れない馬。それくらい大変な馬。
同時に
・最後の一幕だけ見てたら海外遠征も簡単にみえるけど、凱旋門賞挑戦はそんなに甘いものじゃない。大変なんて言葉で片づけられないくらい。
・人間はまだそのことを理解できるけど、馬は何もわからないまま、突然狭いコンテナで長時間輸送され、正反対の環境の変化を与えられて、世界最高峰のレースに臨まなくてはならない。
・あれこれ言うのは簡単だけど、実際には遠征は克服しなければいけないことだらけ。そして、それを最終的に克服しなければならない状況に置かれるのは、オルフェーヴル


だからこそ、もし海外に行くなら、凱旋門賞にチャレンジするなら、馬のために、人間が出来ることは何でもする。少しでもオルフェーヴルが力を発揮できる環境を、人間が整えてやる。
勝ち負けの前に、それが一番大事なこと。
人間の欲のためにフランスまで行って、環境を克服して走らなければいけないのはオルフェーヴル。そのオルフェーヴルのため、馬のためだけを最優先に考えるのは当たり前のこと。あれこれ言うのは簡単。でも実際に厳しい環境を克服しなければならないのは馬。走らなければならないのも馬。
ハーツクライの時にその大変さが身にしみて、絶対に忘れないようにしようと思って、ちょうど6年。そして、もし、もう一度欧州でそういう大きな挑戦の機会があれば、もう後悔することは何一つないというくらいまで「ヨーロッパへ連れて行かれる馬のために」全ての環境を整えてあげて欲しいと願い続けて6年。
今回のオルフェーヴルのチャレンジも、最後だけ切り取れば簡単に見えるかもしれないけれど、そんなに簡単な道ではなくこれからも苦難の連続でしょう。その過程の中で、まず最初に出てきたスミヨン騎乗。少しでもオルフェーヴルのため、馬のためを思って陣営が苦渋の決断を下したことでしょう。
人間の欲のために海外まで連れて行くのだから、今後の環境を判断する基準は何をおいても、「馬のため」。基準はそれしかないはず。
池添騎手がこれまでどれだけオルフェーヴルとのコンタクトを深め、この馬を少しでも普通に走らせてくれていたかは、一つのチームであった池江厩舎が他の誰よりも理解していること。
池添騎手にはまた頑張ってねと声をかける気はありません。誰が何と言っても池添騎手はオルフェーヴルの一番の理解者(今は言えませんが、誰よりも池添騎手がオルフェーヴルを大切にしてくれていると思わせる出来事があります)。必ずまたオルフェーヴルの背中でオルフェーヴルを助けてくれると思います。
この陣営は、春の二連敗があっても迷わず池添騎手を乗せ続けてくれた陣営です。外から「簡単に」誰かがジョッキーを批判したときも、厩舎はそれがジョッキーの問題ではなく馬自身の問題であることを十分に理解していました。その上で、今回は、ヨーロッパまで行かせる馬のために環境を整えてあげることを優先されたのでしょう。
それ自体が、今回のチャレンジがいかに簡単ではないかを物語っています。そして陣営は、そのチャレンジのために、馬のことを最優先に考えるという選択をしたものだと受け止めています。

ただし……ではスミヨン騎手騎乗が、実際に、オルフェーヴルという普通ではない馬にとって良い環境となりうるのかはまた別の話(こっちの方が大事なのですが、長いので次回に)。

※あくまでも個人的な受け止めです。議論する気はありません。