オルフェーヴル 凱旋門賞 観戦記 準備〜渡仏編 その2

そういうわけで、年が明けた2012年。我が家はすぐにロンシャンへに向かって動き始めました。
具体的に何かをするという以前に、頭の中がロンシャン。オルフェーヴルが秋のロンシャンを、凱旋門賞を、駆ける姿で頭が一杯。街中の何を見ても、「ああ凱旋門だ」「エッフェルだ」、手帳のデザインを見ても、「ああパリだ」。オルフェーヴルが必ず10月に駆けてくれる街だ。……本当に意識してみれば街も日用品もパリのデザインだらけ。こんなに溢れかえっていたとは、今回の遠征でロンシャンを意識するまで気がつきませんでした。


もちろん実際にも少しずつですが10月の渡仏に向けての準備を始めていきました。
まず、パスポート。大人の分はいいとして、子供は2006年のアスコット遠征以来海外へは行ってません。子供のパスポートの有効期限は5年。当然期限切れ(しかも、前年に……おしい!)。年明けにドバイに登録したこともあって、(絶対に凱旋門賞一本に絞って欲しかったけど)早めの取得を考えました。前回の手続きなど忘れていたので、面倒といえば面倒でした。

次に、10月一週目の日曜日、10月7日付近の休みの確保です。これは時期的にそう簡単ではありませんでしが、周囲の協力と早めに対処したことで今回はなんとかなりました。


さて、オルフェーヴル。2012年の目標を凱旋門賞に絞るのか。ドバイも視野に入れるのか。我が家は、凱旋門賞一本に絞って欲しい、信じてロンシャンに全力を尽くして欲しい、そう願っていました。結局ドバイは見送って凱旋門賞に狙いを絞ってくれることになり一安心することとなりました。しかし、せこい話ですが、ドバイを視野に入れてせっかく早めに取ったパスポート。10月の渡仏までお預けももったいないような気がして、3月に、前から憧れていたホイアンへ行くことにしました。ハノイホイアンも予想以上に楽しめ、これは馬とは関係ありませんが、いい思い出になりました。オルフェーヴルのフランス遠征がなければ、まず今年ベトナムへ行くことはなかったと思います。とくにホイアンは、ダナンへの直行便さえ復活? すれば、何度でも行きたいところです。
その時の様子は
ハノイ
http://d.hatena.ne.jp/oumani-hamaru/20120402/1333367180
http://d.hatena.ne.jp/oumani-hamaru/20120403/1333453652
ホイアン
http://d.hatena.ne.jp/oumani-hamaru/20120703/1341303803
http://d.hatena.ne.jp/oumani-hamaru/20120703/1341295761

さて、その前後にオルフェーヴルの身に起こったとんでもない出来事。そうです。あの阪神大賞典での歴史に残る? 逸走と、その後の信じられない追い上げ。
逸走というより制御不能に陥ったところは、まさに前から懸念していたこの馬の幼い気性が出たもので、十分に予測がついたものでした。しかし、その後のありえないあの追い上げは、決して手放しで喜べるものではありませんでした。翌日の新聞は「怪物」との見出しで、一面や裏一面に大きく逸走した写真。もちろん恥ずかしながら買ってしまいましたが、やはり気になるのは、尋常ではないあれだけの追い上げをしたことの、後々への影響でした。
念のためもう一度書いておきますが、この逸走は池添騎手の責任ではありません。そういう気性の馬なのです。そして凱旋門賞の最後の大斜行と内ラチ激突もスミヨン騎手の責任ではありません。あれがオルフェーヴル。抜け出して真っ直ぐ走ったことの方がずっと少ないのがオルフェーヴル。抜け出してから斜め走りする馬を、細心の注意を払って安全に最後まで走らせてくれていたのが池添騎手。以前から何度も指摘し続けてきたことでした。
ただ、今になって思えば、阪神大賞典の制御不能状態は、大外であったことに加えて、有馬記念のあとの疲労の影響もあったと思います。有馬記念がああいうきつい競馬(池江師がウルトラCと表現されるように、本来なら避けるべき競馬だと思います)になったことにより、NFしがらきへの放牧後、腰の状態おもわしくありませんでした。それだけが理由ではないでしょうが、春の入厩も遅くなり、阪神大賞典は、池江師が一週ずらして日経賞にしようかとコメントされるような急仕上げでの復帰戦となりました。ああいう気性の馬なのに、ひとつ余裕がなかった、そして大外枠になってしまった、そういう中での出来事でした。


ありえないレースをしたことで世間の注目を集め、「あの逸走であそこまで追い上げるのだから天皇賞は大外を回ってきても、逸走さえしなければ勝つだろう」と、春の天皇賞は盛り上がりを見せました。が、オルフェーヴル自身は、阪神大賞典のレース後、大変きつい状況となりました。ありえない追い上げを見せた影響だけではなく、レース後に調教再審査が課されました。春の天皇賞を見送ってゆっくり対策を取るわけにも行かず、春の天皇賞を目指しながら、同時に調教審査に備える日々。陣営にとって、何としてでも合格させないといけないというプレッシャーは生半可なものではなかったでしょう。そういう雰囲気の中、慣れないダートコースでの連日の調教。そして多くの報道陣を集め、大注目の中での調教再審査。
私は内部にいたわけではありませんので、何がどう影響して、どのくらい状態が落ちたのか、知る由はありません。ただ、天皇賞(春)パドックで、いつもとは違うこじんまりしたオルフェーヴルを見て、ある程度の覚悟はしました。
そして、あの大惨敗。
もちろん勝ってくれるのが一番でしたが、もともと競馬で連戦連勝や絶対負けないというのは考えていません。勝つことがあれば負けることがあるのも競馬。我が家のオルフェーヴルへの気持ちは、それ以前と何ら変わりませんでした。『信じて凱旋門賞一本で行くべき』。当時の日記にもそう書いていると思います。
しかし、立場上、池江師としてはそういうわけには行かなかったのでしょう。凱旋門賞への登録すら迷う状態で、宝塚記念に出走してそこでの結果と内容を見てから、凱旋門賞の出否を判断するということになりました。結果として宝塚記念を勝ち、凱旋門賞にも良い仕上がりで送り出してくれたわけですから、池江師がいかに優秀かということが証明されたわけですが、正直に言って、やはり一つのギャンブルであった感は否めず、私は今でもこの経緯を残念に思っています。


だから、もし来年も本当に凱旋門賞を目指して走るのであれば、絶対に信じて! 一戦や二戦の目先の結果にとらわれず、最後まで信じ切って、最大の目標のために、全てをそのために、そのためだけに、信じて進んで欲しいと思います。この「信じ切って」というのは、「生半可な状態でも結果を出してくれると信じる」という意味ではありません。一戦や二戦の結果に左右されず大目標に向かって馬を信じ切るという意味です。「信じ切る」。牧場の主任さんも雑誌で繰りかえしておられたお言葉ですが、私も全く同じように感じました。

その3↓へ続く
http://d.hatena.ne.jp/oumani-hamaru/20121106