オルフェーヴル 凱旋門賞 観戦記 最終回 その瞬間

パンフ!


場内。非常にコーナーが大きいコース。仮柵を取り、しかもコーナーが大きく内ラチ沿いをロスなく回ることが要求されるコース。オルフェーヴルは大外枠から、いったん内の方へ行って、また大きなコーナーで大外を回って、また内ラチまで行って……凱旋門賞全出走馬のなかで、間違いなく断トツの走行距離でした。よくあれだけの走りを見せてくれたと思います。

馬場仮柵あり。フランスの雨の量は日本よりかなり少ないのですが、自然のままで乾きが遅い印象。前日も大雨というより普通のしとしと降る感じでした。当日、素晴らしい晴天にもかかわらず、ずっと重い馬場のまま。路盤も含めて日本とは根本的に構造が違うのでしょう。

下の写真は仮柵なし。仮柵が外されてからは、ほとんどの馬が痛んでない綺麗な馬場を通ることになります。この日はG1レースが多く、白熱したレース展開を……と思っていたのですが、1Rからほとんどが先行・前残りばかり。500m以上ある直線ですが、今の東京競馬場に輪をかけたようなインコースを通ったもの勝ち。ロスなくインの好位を進まないとどうにもならない馬場でした。後方一気など論外だという印象で、だからこそ凱旋門賞はまさに「あ然」とする直線でした(最後の斜行以上に、あの脚は本当に考えてもみなかった異次元の脚)。


ゴール板(何着でここに帰ってくるか……というか、何事もなく無事にゴールできますように)


オルフェーヴル! ついにこの瞬間(最高の瞬間の一歩手前)を目に。

すばらしい筋肉なのですが、出てきた瞬間「太い!」と言ってしまいました。菊花賞もこの日も太く見えました。でも菊花賞もこの日も強い競馬してるので、私の基準がおかしいのでしょう。「太い!」以外は本当に素晴らしい仕上がり。もうボコボコ筋肉が張り付いた状態。これは池江師と全スタッフのお陰。本当に素晴らしい究極のオルフェーヴルと最高の陣営でした。だからこそ、帰国後、筋肉の落ちたオルフェーヴルには時間をあげて欲しかったかな。


フォワ賞前からの願い
・「使って仕上がる前哨戦」。まさにそういう前哨戦をへて、本番では最高の仕上がり。これは陣営の努力のたまもの。
そしてもうひとつの願い。
・「ガチンコの流れ」。フォワ賞では行きたがってました。そのフォワ賞の後からずっと願っていたのは「ガチンコの流れになること」。当日はまさにガチンコの流れ。
レースはスミヨン騎手も上手く折り合わせてくれましたが、何よりもに助かったのはガチンコの流れ。

「展開」というよりは、オルフェーヴルにとっての永遠の課題、「折り合い」。そのためにも必要なのはオルフェーヴルがスムーズに伸び伸びと走れるガチンコの流れ。凱旋門賞本番は、まさにその流れになってくれました。
道中は多少行きたがっても、ほぼ気持ち良さそうに伸び伸びと走っていました。前哨戦はぎこちない走り方でしたが、本番は、直線も重心の沈む素晴らしい走り。池江師が普段付かないところに筋肉が付いてきたと言われていたように、オルフェーヴル自身の適応力も大きかったのだと思います。


・レース後ゴール板 よく無事にゴールしてくれました。

・よく頑張りました。この数分前、最高の瞬間でした。

戦い終えて、夜のオペラ。ありがとう。


レースに関しては、
http://d.hatena.ne.jp/oumani-hamaru/20121007
をご覧下さい。当日の熱い思いは、今言葉にするよりも、その時の気持ちが全てです。


後日談として、ずいぶんとスミヨン騎手への批判を耳に(目に)しました。
批判の主な内容は「抜け出すのが速すぎた」「内に切れ込ませすぎた」という点でしたが、前者に関しては、いつもいうようにレースは生き物。その時その時で瞬時の判断の中から最善の選択をしているわけで、あそこで前を捉えに行くべくゴーサインを出したことについては、責める気は全くありません。大外枠になってしまったことも、乗り方が限定されてしまうという意味では大きく響いたでしょう。これは仕方ありません。むしろ、問題は追い出しのタイミングではなく、大外から内ラチまで斜めに飛んでいってしまったことです。でも、これとて責める気はありません。あのレース後の、天を仰ぐようなスミヨン騎手の姿を見れば、彼がどれだけオルフェーヴルを勝たせたかったか、勝たせようとしてくれていたかは、誰の目にも明らかです。
あの姿を見れば、「スミヨン、ありがとう」としか言いようがありません。
そして、レース後、あの強気なスミヨン騎手が「最後の最後で言うことを聞いてくれなくなった」と、済まなさそうにテレビのインタビューで(関テレの凱旋門賞特集……素晴らし特集でした)語っていました。
その通りだと思います。イージーだと言い続けたスミヨン騎手ですが、最後にまさに「オルフェーヴル」を思い知った。オルフェーヴルはそういう馬なのです。あの信じられない一瞬の脚も、内ラチ激突も、まさにオルフェーヴル。事故がなかったことに感謝しなければなりません。


先日、阪神大賞典の逸走(それ以前、スタンド前からの制御不能状態)も、凱旋門賞での大外を抜け出してからの内ラチ一直線も、けっしてジョッキーのせいではなく、オルフェーヴルがそういう馬なのだということを書きました。ジョッキーのせいでも陣営のせいでもありません。デビュー戦でのとんでもないレース以来、二年間、一戦一戦、池添騎手も陣営も、この馬が走る度に苦労して下さいました。
出遅れる、行きたがる、折り合いに苦労する、ふくれる、ささる。デビュー後からずっと取りあげてきたこの馬の気性。マシになっているようには見えますが、よくレースを観れば、「出遅れる、折り合いに苦労する、ふくれる、ささる」。これらが出なかったレースの方が例外だと言えます。実際に、上記の癖がどれも出なかったのは、皐月賞宝塚記念くらいでしょうか。勝ったダービー・菊花賞神戸新聞杯にしても、あれだけ外を回っているのに最後は内ラチ近くまでささっています。スプリングSもそうです。有馬記念も勝ちましたが、出遅れて、最後は切れ込んでトーセンジョーダンに迷惑をかけています。
本質、幼い気性はそのままで、大きな大きな存在になったオルフェーヴル。なるべくそれが出ないように乗るしかない馬。池添ジョッキーももちろん分かって細心の注意を払って操縦してくれています。
もちろん、いくら細心の注意を払おうとも、やはり枠順・流れの影響は受けますので、これからも思い通りにならないことも多いと思います。
個人的には、この馬が悪癖を出さず、最後までスムーズに走った数少ないレースは、いずれも、極端な位置でなく、馬群の中で、最後も大外でなく馬群の中を抜け出してきたレースだと思います。皐月賞宝塚記念。中段から、馬群の中で見事に折り合い、大外ではなく馬群の内目を回って、馬ごみの中を抜け出し、最後まで真っ直ぐに走り抜けました。逆に、大外を回った上記レースは、すべて内に切れ込んでいます。これだけ顕著だということは、大外から一気に伸びて一気に視界が開けて他の馬が見えなくなってしまった(1頭になった)ことも大きいのでしょう。
もちろん、勝たねばならないという立場もわかりますが、出来るだけ極端ではない競馬をしてあげて欲しいと思います(最後は、今後に向けての余計な話でしたね)。


凱旋門賞に戻ります。
最後に、一つだけ自慢させて下さい。


月刊『優駿』11月号で凱旋門賞レポートを書かれた石田氏が以下のように書かれています(9ページ)。
「現場で体感した末脚の勢いは映像を通じて見たそれよりはるかに強烈で、「勝負は決した」としか思えなかった。ゴールまでの残る十数秒間はただただ、爆発的な歓喜に浸っていればいいはずだった」


私も、テレビで後から見たオルフェーヴルと、あの瞬間・スタンドの上から見たオルフェーヴルの脚は、全く別ものに感じています。もちろんテレビで見る脚も凄いのでしょうが、スタンドから見た脚は、これまでの人生で見てきた競馬とは全く別の、異次元の脚に映りました。
ほとんどの方が日本で映像を通して応援せざるをえないわけで、現地現地と強調するのもどうかと思うのですが、何十時間の輸送を辛抱したことに免じてお許し下さい。
あのすべてを一気に飲み込んで抜け出したときの衝撃は、テレビ映像を通してみるそれとは、まったく異なる、異次元の「体感」でした。


何度もいうけど、一生いい続けると思うけど、あのスタンドからみたオルフェーヴルのあの信じられない脚は本当に格好良かった。映像を見ても一頭だけ別次元の脚で全馬を飲み込んでいったのは分かりますが、現地のスタンドからみたその光景は、もっと凄まじい体感で、「こんなことが起こりうるんだろうか」という夢のような、最高に格好いい姿でした。


目をつぶるといつも思い出した、あのアスコット競馬場でのハーツクライの抜け出そうとする脚。そして抜け出してからの頑張り。
あれから6年。願い続けた夢の舞台。もう一度なんてないだろうなぁと思っていたけど、叶えてくれたオルフェーヴル


今目を閉じても、あの日の、あの瞬間の、あの信じられない脚を使うオルフェーヴルの姿が浮かびます。


どちらが上とか、比較などではなく、6年前のあの夏に、「なんとしても、もう一度! いつか必ず」と思ったその気持ちは、今はもうありません。
本当に最高の瞬間を、一生涯、目を閉じれば、いつでも浮かんでくる最高の姿を、あの日のオルフェーヴルはまぶたの裏に刻み込んでくれました。
最高の瞬間。求めていたものはその姿でした。肩書きが加わるかどうかは、私たちにとっては、もはやどうでもいいことです。
ありがとう。オルフェーヴル
2012年10月7日。オルフェーヴルがプレゼントしてくれたのは、我が家にとっては、なにものにも代えることのできない、最高の瞬間でした。